【オムロンの創業者】立石一真の名言

「ダメと決めつけるのはたやすい。
しかし、改善の余地ありでなければ、
創造の将来はない。”まずやってみる”が
我々が築きあげてきた企業文化なのだ」

発言者:立石一真

立石一真さんってどんな人?

立石一真は、熊本県の商家の長男として生まれた。旧熊本中学(現在の県立熊本高校)に進んだ立石一真は、海軍兵学校を受験するが、身体検査で不合格となります。立石一真は、やむを得ず熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)に進学し、卒業後、兵庫県庁を経て、「井上電機製作所」に入社した。立石一真はそこで、アメリカで開発されたリレー装置の国産化に取り組むことになります。

この経験は、立石電機を創業した際にも大いに役立ったといいます。

昭和5年 1930年に立石一真は、「採光社」を設立します。井上電機製作所に実用新案を取得していたズボンプレスやナイフグラインダの製造・販売を始める。だが、販路を持たなかったため、自転車で飛び込みセールスをするしかなく、苦しい日々が続きました。

そんなとき、友人の言葉からヒントを得て開発・商品化したレントゲン撮影用のタイマーが成功し、大阪に「立石電機製作所」を設立しました。

立石一真が世界的に企業に飛躍するきっかけになったのは、マクロスイッチの国産化だった。昭和16年に東大航空研究所から依頼され、2年をかけてようやく製品化にこぎつけたものだが、戦争の激化によって商売にはならなかった。ところが、戦後のオートメーション時代に、このマクロスイッチが大量に使用されるようになり、現在のオムロンの基盤を築きました。

もっと立石一真さんを学びたい人は!