「人間のやったことは、
発言者:豊田佐吉
人間がまだやれないことの
100分の1にすぎない」
豊田佐吉さんってどんな人?
豊田佐吉は遠江国(現在の静岡県)の農家を営む豊田伊吉の長男として生まれました。実家は農家だけでは食べていけないほど貧しく、父は大工、母は機織りをしてようやく湖口をしのいでいました。
豊田佐吉少年は小学校を卒業し、すぐに豊田伊吉の仕事を手伝い始めましたが、母が朝から晩まで機織りを続けている姿を見て「なんとか母を楽にしてあげたい」と考えて手織機の改良を始めました。
明治23年(1890)、第3回内国博覧会を見学するために上京。会場で外国製品の機織機を見た豊田佐吉は、それをヒントにして「豊田式木製人力織機」を考案、明治24年に特許を取得しました。
豊田佐吉の開発した織機には木材が多用されていたため、金属製の外国製織機と比較して10分の1以下の価格でした。その安さが評判になり、織機は爆発的に売れ、豊田佐吉は開発資金を手に入れます。
その資金のおかげで、明治30年には豊田式動力織機が完成。その2年後に自動織機の特許を取得しました。こうして、この自動織機は日本を織物大国へ押し上げる原動力となりました。
豊田佐吉が40年間に得た発明特許は、国内で100以上、海外でも50以上に達し、海外でも高い評価を受けていました。たとえば、昭和4年(1929)には自動織機の特許をイギリスの会社が100万円(現在の金額で100億円の価値)で買い上げたほどでした。
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