【シャープの創業者】早川徳次の名言

「よいアイデアの生まれるのは
儲からなくてなんとかしようと
苦しんでいるときである。だから私は、
儲かることをあまり喜んでいない」

発言者:早川徳次

早川徳次さんってどんな人?

早川徳次は東京の商家に生まれました。もとは裕福でしたが、早川徳次が生まれた頃には実家が傾き、養子に出されました。しかも、食事も満足に与えられないような扱いを受け、8歳になるとかんざし屋に奉公に出されてしまいました。

早川徳次は、18歳のときにかんざし屋で身につけた金属加工技術を利用し、ベルトに穴を開けずに使えるバックルを発明しました。早川徳次はこのバックルを「徳尾錠」と名付け、明治44年(1911)に特許を取得しました。そして、50円の資金で独立。ちなみに、独立資金50円のうち、40円は借金で、最初の従業員は彼を含めてわずか3名でした。

爆発的なヒットになった徳尾錠の売上で、早川徳次はまた新しい発明をしました。それが、シャープペンシルです。彼は大正4年(1915)に「早川式繰出鉛筆」として特許を取得。当初、売れ行きはかんばしくありませんでしたが、欧米に輸出したところ大ヒットとなり、それにつれて日本で売上も伸びていきました。

大正12年。事業を拡大しつつあった早川徳次を関東大震災が襲いました。大震災によって彼は妻と2人の子供、そして工場を失うことになります。そして、彼はシャープペンシルの特許を日本文具株式会社に売却して借金をすべて返済し、大阪へ移住しました。

大正13年に早川金属工業研究所を設立した早川徳次は、日本文具会社の下請けをしながら、当時アメリカから輸入され、高価だったラジオの国産化に挑戦しました。大正14年に完成したラジオは、ちょうどその年から大阪でラジオ放送が始まったのを受けて、爆発的に売れました。これが、現在のシャープの基礎になりました。

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