【パイオニア創業者】松本望の名言

「社員の中には知恵がある人間がたくさんいる。
そういうひとたちから自由さ、創造の喜びを奪ってはいけない。
無鉄砲なくらいのチャレンジをさせなくては企業の若さは保てない」

発言者:松本望

松本望さんってどんな人?

松本望(のぞむ)は、神戸の教会に生まれました。彼は中学校を1年で中退し、文房具店で丁稚奉公を始めたが長続きせず、楽器商、家具職人、ピアノ調律師、無線技師など職業を転々とします。昭和3(1928)年には、妻の実家である谷山商店の大阪支店を譲り受け、ラジオ商を始めました。

当時、ラジオは最先端の電気製品として、おおいに一般庶民の人気を集めていましたが、開店の翌年に世界大恐慌が起きたため、松本夫妻はその日の米にも困るほどの辛酸をなめました。

その松本望が音響機器に興味を持ったきっかけは、この頃にアメリカ製の「ダイナミック・スピーカー」に出合ったことです。彼は、このスピーカーから流れる音を聞き、「こんなに素晴らしい音があったのか」と感動し、この音を多く人に聞かせたいと願いました。

そして、松本望は昭和12年に東京進出を果たし、福音商会電機製作所を設立。第二次世界大戦後の昭和22年に社名を福音電機株式会社に改め、昭和25年に国産初のダイナミック・スピーカーの開発、販売を開始した。ちなみに、現社名の「パイオニア」は、このスピーカーの商標でした。

松本望が「国産のダイナミック・スピーカー」を作ると言い出したとき、周囲の人達はみんな「無理だ」「無謀だ」と反対しました。しかし、彼のその無謀にあえてチャレンジし、パイオニアを築き上げました。松本望のチャレンジ精神と懐の深さは年老いても衰えることはなく、たとえばレーザーディスク販売開始時の売れ行き不調に不安の色をみせた石塚庸三(当時の社長)を「まったくの新製品なのだから売れなくて当たり前だ。あわてるな!」と一括したといいます。

企業にとって業績は重要です。しかし、業績ばかりに目を奪われていたら、その企業に未来はありません。「無謀だ」と思えるくらいのチャレンジ精神が、企業の未来を明るく照らすのです。

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