悪人を弁護する意味とは?元大学長が遺した「衝撃の名言」が突きつける法治社会の真実

本日の名言

弁護士とは、
悪い奴を悪い奴と知りながら弁護して、
その悪い奴から悪い金をもらう、
悪い人間。

発言者:堀秀彦(哲学者・評論家、東洋大学元学長)

堀秀彦さんってどんな人?

肩書: 哲学者、評論家、東洋大学元学長

生没年: 1910年 ~ 2000年

主な経歴: 昭和から平成にかけて活躍した日本の哲学者・教育者。東洋大学の学長を務め、大学の発展に尽力するかたわら、鋭い人間洞察と独自のユーモアを交えた評論活動を展開した。

思想・作風: 綺麗事や世間の建前に流されず、人間社会の「本音」や矛盾を突く辛口かつ哲学的な名言を数多く残した。今回取り上げた弁護士に関する言葉も、人々の抱く素朴なルサンチマン(ルサンチマン=嫉妬や恨みなどの感情)と司法の現実のギャップを突いた、非常に印象的な警句として今なお語り継がれている。

私の説明

おはようございます。

2026年7月31日

世間を震撼させるような大事件が起きたとき、テレビのニュース画面に映し出される被告人と、それに寄り添う弁護士の姿を見て、思わずモヤモヤとした怒りや違和感を覚えたことはないだろうか。「なぜ、あんな極悪人の味方をするのか」「お金をもらって犯罪者をかばうなんて許せない」――そんな私たちの心の中にある素朴な本音を、そのまま鋭い言葉にしたのが、哲学者・堀秀彦氏の残した冒頭の言葉である。

「悪人」を弁護することへの違和感の正体

堀氏のこの言葉は、多くの人の共感を呼ぶ。悪人が裁かれるのは当然であり、それに手を貸す弁護士もまた同類に見えてしまう。しかし、この強烈な警句の奥にあるのは、単なる職業への悪口ではなく、司法制度に対する根源的な問いかけである。私たちは日々のニュースに触れるとき、感情的に「一刻も早く厳罰を処せ」と望みがちだが、法治社会はその感情だけで動いているわけではない。

なぜ、最悪の犯罪者にも弁護士が必要なのか?

では、なぜ法は悪人にも弁護士をつけることを義務付けているのだろうか。その理由は大きく二つある。第一に、国家権力の暴走と冤罪を防ぐためである。もし「悪人だから弁護は不要だ」として即座に処罰できる仕組みにしてしまったらどうなるか。権力者の都合で無実の人間が「悪人」に仕立て上げられ、反論の機会すら奪われる恐怖の世界が生まれてしまう。

第二に、「適正手続(デュー・プロセス)」という絶対のルールを守るためである。どんなに憎らしい犯罪者であっても、法の下の平等と、公平な裁判を受ける権利は人権の根幹である。弁護士は犯罪者を「無罪にする魔法使い」ではなく、「国家が法律のルールを破っていないかを監視する番犬」なのだ。悪人がどんなに悪質であっても、法的手続を踏まなければ、それは司法ではなくただの「私刑(リンチ)」になってしまう。

「悪い金」の向こう側にあるプロフェッショナルの覚悟

「悪い奴から悪い金をもらう」という表現もまた、弁護士という仕事の過酷さを浮き彫りにしている。多額の弁護士費用を手にする裏で、彼らは世間からの激しいバッシング、非難、そして犯罪者の闇と直接向き合う精神的ストレスを背負っている。誰もやりたがらない泥臭い役割を引き受け、法と証拠に基づいて冷静に弁護を全うすること。それこそが、民主主義社会の土台を支えるプロフェッショナルの姿である。

まとめ:名言が教えてくれる「正義」の重み

堀秀彦氏の言葉は、私たちにこう問いかけている。「あなたの信じる正義とは、感情まかせの私刑か、それとも冷徹なルールに基づいた法治か」と。綺麗事だけでは済まない司法のリアルを知るとき、ニュースの向こう側にある法治社会の仕組みが、これまでとは違った重みを持って見えてくるはずだ。

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